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人々が仕事につけるまでの間の食糧を政府が提供してくれなければ、私個人に関する限り、たとえ暴動が始まってもそのドアを閉めるようなことは絶対にいたしません」。
三二年末からの議会では、全米農業局連盟の保守的指導者エドワード・オールが証言した。 「アメリカ農民のために何か対策が打たれなければ、農村では三カ月以内に革命が起きるでしょう」。
じっさい、何百もの商店が襲われ、各地で小規模な騒乱が相次いだ。 しかし、都市部における大衆行動として最も大規模で、人有の心を底の知れない悲しみの淵に突き落としたのは、三二年三月ミシガン州ディァポーン市と首都ワシントンで起こった二つの事件だった。

三月七日の朝、デトロイトでは共産党に先導された三○○○人がディァポーンにあるフォードのリバー・ルージュエ場へ向かって行進を開始した。 凍てついた朝だった。
彼らはフォードの工場へいくつかの要求をつきつけようとしていた。 既にヘンリー・フォードは、かつて世界一の高賃金を維持して人々の尊敬と賞賛を集めた頃と違って、労働者に冷たい旧体制の悪の権化に転落していた。
行列はデトロイトを事もなく通過した。 しかし、行列がディァポーンに入ったとたん、武装警官隊は群衆に催涙ガス弾を発射し、デモ隊はこれに石や凍土片を投げつけて抵抗した。
警官隊がフォードの工場内に退却すると、消防隊がデモ隊めがけて放水した。 警官隊は再び催涙ガスを発射し、今度は実弾射撃も加わった。
デモ隊の一人が射殺されたのにひるんで、群衆は近くの空き地に退避した。 そこへ警官隊が射撃を浴びせたため、さらに三人が死に、五○人が重傷を負った。
銃を使ったのは警官隊の方だった。 一九ニ三年五月、大陸の西のはずれオレゴン州ポートランドで、およそ三○○人の退役軍人(ベテラン)たちがワシントンへ向けての行進を開始した。
「ポ−ナス遠征軍」と名付けられた一行は、次第に、退役軍人ボーナスを半額前貸しするのではなく、全額即刻支払う案を支持する姿勢を鮮明にし、貨車を乗り継ぎ、東へ首都へと向かっていった。 退役兵士たちは愛国者であり、保守主義者であった。

彼らのボーナス行進は、『ワシントン・スター』紙がいみじくも表現したように、現実からの逃避、空腹からの、飢えた子供の泣き声からの、やつれて不平たらたらの女一房たちから金をもらう屈辱からの、防衛心の強い一雇主のにべもない拒絶からの、逃避と言ってもよいものだった。 戦争も地獄だったが、仕事がなくてぶらぶらしているのはそれよりもっとひどかった。
西部の鉄道はベテランたちに無償で貨車を提供し、中西部から東部へかけてのいくつかの州では、ボーナス軍を速やかに州外に移送するために十数台のトラック部隊を出動させた。 オレゴンのボーナス軍が二○日かかって大陸横断を果たしワシントンに入ったときには、彼らは有名人になっていた。
同じような行進が各地からワシントンに集結し、ボーナス軍はおよそ二万人の群衆に膨れ上がっていた。 ボーナス軍は、ワシントンに「ボーナスを手にするまで留まる」「一九四五年まで留まる」と気勢を上げた。
首都の警備に当たっていた警察署長グラスフォード准将は、自らもベテランとしてボーナス軍に深い理解を示し、かくも多数の失業者が暴動に走らないよう、食料や寝る場所、寝具の調達まで手配した。 グラスフォードと上司の間には何度も議論が戦わされた。
「もし彼らに食糧と寝る場所を与えれば、まだまだ何千人もがやって来る」。 「五○○○人の腹をすかせた絶望的な人間に商店になだれこまれたり略奪されたりするよりも、一万人の秩序と統制の保たれたベテランにいられる方がずっとましだ」。
しかし、グラスフォードのたび重なる要請にもかかわらず、連邦政府はボーナス軍の要求に耳を貸さず、フーヴァー大統領はボーナス軍の代表と会おうともしなかった。 (グラスフォードは大統領秘書官に遮られて、直接大統領に訴えることもかなわなかった。
)それどころか彼は、これ以上ボーナス軍に同情的な態度をとり続ければ大統領は彼を解雇すると告げられた。 ボーナス軍はペンシルバニア通りの政府の空きビルや橋を隔てた向こうのアナスコーシァ・フラットに建てたバラック小屋で生活を始めた。
男も女も子供もいた。 グラスフォードとボーナス軍の司令官ウォーターズとは「仲のよい敵」として、ボーナス軍に共産主義者や社会主義者の扇動が加えられるのを防ぎ、群衆の平穏を維持し続けた。
やがてボーナス軍敗北の日がやってきた。 議会で審議されていたボーナス法案が、六月一七日夕刻上院で否決されたのだった。
下院は通過するが上院では否決、それが議員たちの党派を超えた暗黙の了解だった。 議事堂の周辺につめかけた八○○○人のボーナス軍の間に緊張した沈黙が広がった。

ボーナス法案の否決を見とどけたオレゴンのボーナス軍からは、退役軍人管理局や鉄道会社や地元議員の提供する無料乗車券をもらって帰路につく者も相次いだ。 政府は次第にボーナス軍に立ち退きの要求を強めていった。
そして、七月二五日を期限にすべての政府管轄地からの退去が命ぜられた。 他に行くあてのないボーナス軍は、撤退には時間がかかり、食糧も代替地もないのでは動けないと主張した。
グラスフォードにはボーナス軍を強制的に退去させるよう圧力がかけられた。 七月二八日の朝、グラスフォードと警官隊は半ば倒壊した軍の建物からベテランを退去させた。
作戦は昼までに無事完了したが、アナスコーシアその他のキャンプからベテランたちがワシントン市内に集まり始めた。 警官隊と対時したボーナス軍の中から、共産主義者として知られていた男が前に出て警官隊を挑発した。
レンガや石の飛び交う小ぜりあいとなったが、発砲は起きなかった。 ボーナス軍は次第に数を増し、数千人に達した。
コロンビア特別区の二人の警察部長は現場を急いで視察すると、直ちに「重大な暴動」が発生したとして連邦軍の出動を要請した。 あたかも軍の出動要請にタイミングを合わせるかのように流血が起こった。
二人の男に襲われた警官がついにピストルを抜いて発砲したのだった。 一人はその場で倒れ、もう一人は致命傷を負った。
この夏ボーナスをもらえたのは結局この二人のベテランだけとなった。 マッカー軍隊の出動要請は大統領に報告され、大統領の承認のもとに強硬派の陸軍長官ハトサー出動リック・ハーリーが合衆国陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサー将軍宛のタイプ書きの命令害を作った。

「……合衆国軍隊を直ちに事変の地域に送られたし。 現在担当中のコロンビア特別区警察に全面的に協力すること。
異変の地域を包囲し、遅滞なく掃討すること。 ……捕虜はすべて文民当局に引き渡すこと。
……命令の際には、異変の地域に婦人と子供が見られたなら、必ずあらゆる配慮と親切をもって接することを指示せよ。 一)の命令の実行に支障をきたさない限り、あらゆる人道的手段を行使せよ」。
後に第二次大戦で勇名を馳せたように、マッカーサーは交渉による妥結の道など眼中になく、全面的勝利以外何物も求めなかった。 ただちにマッカーサー自身が軍隊を率いて出動した。
二○○騎強の騎兵がサーベルを抜き、五台の戦車と三○○人の歩兵が、希望も行き先も失った男や女や子供の群れに向かって行った。

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